2025年01月11日
シリーズ :正体シリーズ |
「出会いがない」。
このような言葉を口にしたり耳にしたりしたことはありませんか。
今回は、社会に出た大人たちが「出会いがないんだよ」と嘆くのは、実は当たり前のことではないかという話をします。
なぜ常套句のように多くの人がそれを口にするのでしょう。
それは「出会いがあった」状態を経験したことがあるからという見方ができます。
それはいつか。
そう、学生時代です。
一貫して男子校や女子校に通われていた方々など一部の例外を除き、ほとんどの人が小学校、中学校の義務教育過程で、そして人によってはその先の高校や専門学校や短大、大学などに通うなかで、出会いに恵まれた日々を送っていたはずです。
アルバイトやサークル活動もしていたのであれば尚更ですね。
思い返してみてください。
男女共学の10代~20代前半に「出会いがない」と言っていた友人、周りにいたでしょうか。今の10代~20代前半の若者にも同様のことがいえます。
「彼女ができない」「彼氏ができない」はあっても「出会いがない」とは言わないのではないでしょうか。
仮にそう嘆いている人がいるとしたら、よほど自ら交流を狭めて生活しているか、モテないことの言い訳に聞こえてしまうかもしれません。
なぜなら学生時代までは、皆ほとんど平等に出会いがあったはずだからです。
同世代の異性に毎日のように囲まれ、長い時間を過ごし、時に共同作業などもする。タイプも選り取りみどり。しかも未婚であるかを考える必要も基本的にはない。
卒業して何年か経ってから気付きます。
あれはなんて贅沢な空間だったのだろうと。
自然と恋愛対象になるような異性と毎日のように一緒にいられる時間というのは実は恵まれた、学生時代の特権なのです。
学生時代には出会いがあった。いえ、厳密にいうと出会いの環境がありました。
重要なのは「出会いの場」ではなく、「環境」です。
「出会いの場」とは、例えば合コンや婚活パーティーのような単発的なシチュエーション。
対して「出会いの環境」は、求める求めないに関わらず、反復継続して複数の異性と日常的に接点のある状態を指します。
出会いがないと一度も感じなかった人たちが、高校や大学を卒業して社会に出た途端いつの間にか「出会いがない」と口にするようになる。その理由はこの「出会いの環境を失った」からなのです。
ある意味当然ですよね。
ですが、これが「出会いがない」という言葉の正体なのです。
(後編に続く)